「ひきこもりについて」①
「ひきこもり」について
「ひきこもり」を主訴に医療機関を受診するケースが昔から少なからず存在していると思いますし、私が臨床をはじめた頃と比較するとなんらかの精神医学的診断がつかない「ひきこもり」の相談は増えた印象はあります。
本人が来院できず母親、ないしは家族のみが相談にくるケースも多くなってきています。
「ひきこもり」というのは診断名ではなく状態像をあらわしているにすぎません。
これまでも「ひきこもり」についてはこの国でも歴史的に検討されてきており、1960年スチューデントアパシー、1970年代逃避型抑うつ、1980年代社会恐怖、回避型人格障害、1990年代対人恐怖などが近接病態として考えられてきました。
2000年以降は発達障害がはやりましたので、受容型の広汎性発達障害が話題としてよくあげられていました。
しかし最近では病名がつかない、つまりひきこもりを脱却するための答えが病気の中にはないケースが増えてきています。そのようなケースの多くは、生育歴を聴取すると、家族の支持機能は脆弱であることが多く、育ってきた環境の中に大人モデルが不在であることが多いです。
つまり、こういう大人になりたいというモデルが存在していないということです。
昔は両親ではなくても親戚まで含めた家族の中や、学校、習いごとの先生、近所の人、などに大人モデルになりえる人が存在していたのだと思いますが、今はほんとにそのような機会にめぐまれないことが増えたと思います。
その場合、クリニックの主治医や関係するスタッフはその役割を担う必要があります。このような場合、病気じゃないから病院には来なくていいですよでは、何も解決しません。
我々の法人で、多職種で患者さんとの接点を増やしているのは、こういうケースに対応できるようにするためでもあります。
診断がつかなくても、誰かの助けを必要としている人が精神科に来る時代になりました。社会的背景に合わせてクリニックの役割も変化していく必要があります。そうでなければ我々の存在意義はなくなってしまいます。
また対人恐怖の概念は日本独特の文化背景に基づいており、海外では「Taijin kyofusho」とそのまま使用されています。DSMでの社会不安障害では対人恐怖は説明しきれないため、「甘え(Amae)」と同じように日本語がそのまま海外では使用されています。
日本で臨床をやる以上は日本独自に発展しが概念は知識として知っておく必要があると思います。
私が「ひきこもり」について考察したケースレポートを次ページにのせましたので、ご興味のある方は参照ください。⇓⇓
https://meiekisakomentalclinic.com/blog/556/
医療法人永朋会 理事長 加藤晃司