感覚の違いから生まれる才能と障害
年末年始いくつか読んだ本、『沈黙する知性』内田樹にて、
ゴッホの描く絵(大胆な色使い、直線あるべきところの歪みなど)は「レトリック」や「いわゆる絵画の修辞」ではなくゴッホ自身に実際にあのように見えているのではないか、という記載がありました。
診療を重ねる中で、人それぞれの感覚の違い、「見えるもの。聞こえるもの。感じるもの」が異なることがもたらす影響を実感しています。
時に、
感覚過敏や感覚鈍磨として、日常生活や社会生活をおくる上で困難さにつながること(発達障害など神経発達の悩み)、また、自律神経失調症など身体症状に至ること。
聞く事、見る事の苦手さによっては、学習障害(読み書き障害)の悩み。
感じられるものが確信的である。→幻覚・妄想
受診される方では、例えば上記のような訴えをしばしばききます。
しかし、感覚の違いは悩みと才能の表裏一体。
感覚や才能、興味のベクトルをどのように持っていくか、受診される方のお悩みをプラスに転じる具体的な方法を思案しています。
(個人的な考えですが、以前に蜷川実花氏の映画作品を見たことがありますが、極彩色が多分に使われています。蜷川氏にも視覚処理の特異さがあるのかもしれませんね。才能豊かな方には感覚の特異さが必須なのではないかと思っています。)
上記の著書の中で、村上春樹氏について彼の小説にしばしばみられる「異なる時間・空間的なストーリーが同時進行として進む」のは、そういった時間・空間的な感覚の特殊さを村上春樹氏自身が持ち合わせているからであるとのこと。
人それぞれの能力・個性・才能の活かし方はないものかと思うのです。
名駅さこうメンタルクリニック
丹羽亮平